2015-03-06(Fri)
暇人之歴史探訪 三.小田原 (前)
歴史探訪レポ再開。今回は2月11日(水)・建国記念の日の出来事
小田原に行って参りました。ようやくメジャーな観光地が登場。。。一帯に歴史を感じられる街。
ではれっつら


小田原に行って参りました。ようやくメジャーな観光地が登場。。。一帯に歴史を感じられる街。
ではれっつら

スタートは小田急線・小田原駅。相模大野から小田原線と江ノ島線に分かれるので注意。箱根行くときはここから箱根登山電車に乗り換えね
ついでに、『僕は友達が少ない』の聖地だったりする。ほんのワンカットしか出てこないけど。

おだわらちょうちんぶらさげて~。早速駅内で巨大提灯がお出迎え。
江戸時代、小田原は宿場(しゅくば)が多く盛んに人が出入りしていました。彼らに大人気だったのがこの小田原提灯。特徴は折りたたむと上下の蓋に収まること。提灯と言うと、丸い太ったものが浮かびますがこれは携帯性に優れたものでしたー。
暗いところで盗賊に襲われることも多かったので、旅人にとって提灯は安全のための必需品。大層売れたそうな

町の街灯や小田原市消防署の出動ランプが提灯型になってたりしますww(左端と右端をご覧あれ)
さあ、あの城へ向かおう…としたら道中に石碑発見
➊松本驛長殉難碑

新しい碑だなーと思ってスルーしようとしたら、菊池寛の文字が見えてファッ!?ですよ
そしてまさかのWikipediaに記事があるという驚き。
小田原駅長の松本さんが悪天候の日仕事をしていたら足を滑らせて亡くなってしまったようです。菊池寛は駅長の知り合いで、碑文を贈った模様。
左に移転除幕式の石があるってことは、もともと違う場所にあったということか
気を取り直して、

小田原城址北入口に到着。ここから入ると

御用米曲輪(ごようまいくるわ)の広がりがよく見えます。
くるわって打っても曲輪とは出てきませんが、郭(くるわ)と同じです。土塁や塀や堀などで区切ったスペースのこと。本丸となったり倉庫となったり、とにかく何かしらの役割を持つところです。
御用米は年貢としてもらった米のことなので、それを備蓄してたところ…なのかな?
で、ここの調査は数年前から行われていて、毎年何かしらの大発見が報道されているのです。石垣とか、家紋が掘られた瓦とか…歴史を裏付ける証拠となるものが続々。まだまだロマンが埋まっていると思うと…ワクワクせざるを得ない
では本丸へ。そこにそびえ立つは


小田原城!ううむ、かっこいい。
ざっと歴史を
成り立ちは…正直、よく分からない。一応、築城年は1417年(室町中期、一揆や悪政などで荒れていたころ)、築城者は大森頼春とするのが通説っぽい。ぽいぽい。
大森頼春はかなりマイナーだけど…このころ起きた大きな乱(上杉禅秀の乱)を鎮圧して名を残しています。その後も要職に就いてるはず。
ハイライトは戦国時代。大森氏から城を奪ったのは大将軍・北条早雲。その後氏綱・氏康と継がれ、上杉・武田からの攻撃をシャットアウト(小田原城の戦い)。一躍有名になります。
しかし立ちふさがるは豊臣秀吉。天下統一の〆はここ関東でした。篭城で粘ろうとするも、凄まじい攻撃と強力な軍により敗北(小田原征伐)。支配下に置かれます。
江戸時代になると少し複雑。北条氏が滅び、徳川家康は大久保忠世(大久保利通の大久保とは違うっぽい)を城主とするも、次代の大久保忠隣(ただちか)が幕府内のいざこざ(ここらへんはマジで複雑すぎる…教科書に出てくるような事件でもないし)で改易(城や土地を没収すること)処分。
次に阿部氏(阿部正弘に繋がる)、稲葉氏、また大久保氏(許されたようだ)…結局 廃藩置県で小田原藩がなくなるまで、大久保氏が守ることに。
明治時代にはほとんどが解体され、残されていた部分も大正12年、関東大震災により崩壊。
第二次世界大戦後、少しずつ修復され、つい数年前も新しく門が建てられています。
関東大震災の他にも、何度も何度も地震に遭いながら生きてきた大層立派な城でございます。
そういえば、小田原評定の語源もここ小田原城が発祥ですね。小田原征伐で粘りに粘ったことから、「いつまでも結論が出ない会議」の意で使われる故事。
あと、その小田原征伐で秀吉が建てたのが石垣山城。一夜城の名で通っています。
完成した後山の木を伐採してその姿を見せたことで、まるで一晩で城を建てたように見せた。そんな伝説が残っています。これは最近の大河ドラマでやってた気が
ついでに回りたいところですが、車使わないと遠いところなので今回は勘弁;
現在城内は展示室と展望台になっています。
展示内容は主に室町~江戸時代の遺物。中には古代のものまでありますよー
モノホンの鎧兜がズラリと並び、鈍い光を放つ刀、槍…戦国感たっぷり。
心動かされたのは書簡かな。戦の前に大切な人へ宛てた手紙、なんかも最近発見して寄贈されたりしている。
和むのは日常品。信じられないほどちっちぇえ算盤があって笑ってしまったww指ではじけねえだろ!とツッコミ入れるしかない。
…という感動も撮影禁止なのでうまく伝えることができない;是非観光して欲しいところです。。。
展望台は撮影おk



いい天気でよく見えましたー
相模湾と、箱根山、大山?丹沢?まで見えます。三浦半島は割と近いので見えましたよー
では周りを散策。


例によって梅。皆さん歌詠んでつるしておりました

本丸のところは昔ミニ動物園みたいになってたのですが、現在はサルしかいませんでした…
寒いから団子になってるww
ついでに遊園地もあり(しかもかなり繁盛している)。どこかカオス感が漂っている…

では本丸は

門1つ目・常盤木門をくぐって後にします。1971年修復。
正門ということで、一番デカく、頑丈に造られていたそうです。本丸内には名の由来となった巨松が。巨木マニア歓喜。

二の丸から出るにくぐる銅門(あかがねもん)。
二の丸内には小田原城歴史見聞館があり、天守閣のチケットとここの入場チケットがセットになったものを買うと得ですのよ。今回は時間ないのでかーーーっと
❷明治天皇行幸碑

こんな碑も。まだ天守閣があったときにいらしたのかな?
銅門くぐらなければ、小田原市郷土文化館へ行くことができます。こちらは入館無料。
ちょっと古い建物(外観撮るの忘れた…)ですが、城内展示に匹敵するほど歴史を感じられますよ!
小田原城の沿革の他にも、小田原市の歴史ってことで遺跡から出土したものがあったり。戦乱の世に目が行きがちですが、しっかりと古代の遺物も残してあるのですね…素晴らしい…無料(強調)とは思えん…

昼休憩ってことで馬出門をくぐって一度城外へ。2009年に復元。つい最近だ
ここを出る前に馬出曲輪があるのですが、遺構が残っていて面白いですよー。防御したり出陣したりする場なんだなーってのがよくわかります。。。
昼飯!

味乃魚隆で…っ!もり+海鮮丼セットを頼む…っ!限定30食ランチセットである…っ!
海鮮…美味い…!美味すぎる…っ!間違いなく採れたての味…っ!俺、ついがっつく…!
そして蕎麦…なんだこれは…麺が細い…細すぎる…っ!しかしこの食べ応えはどこから来るのであろうか…手打ちではないであろうが、それに匹敵する美味さ…っ!
これで990円。え?安くね?すばらです。
というお昼までの行程。
次回、後半からが本番である。歴史を求める者、小田原城だけで満足してはいけない。
この町も1日では回り切れないほど、無数の浪漫が転がっている…
続く…
ついでに、『僕は友達が少ない』の聖地だったりする。ほんのワンカットしか出てこないけど。

おだわらちょうちんぶらさげて~。早速駅内で巨大提灯がお出迎え。
江戸時代、小田原は宿場(しゅくば)が多く盛んに人が出入りしていました。彼らに大人気だったのがこの小田原提灯。特徴は折りたたむと上下の蓋に収まること。提灯と言うと、丸い太ったものが浮かびますがこれは携帯性に優れたものでしたー。
暗いところで盗賊に襲われることも多かったので、旅人にとって提灯は安全のための必需品。大層売れたそうな

町の街灯や小田原市消防署の出動ランプが提灯型になってたりしますww(左端と右端をご覧あれ)
さあ、あの城へ向かおう…としたら道中に石碑発見
➊松本驛長殉難碑

新しい碑だなーと思ってスルーしようとしたら、菊池寛の文字が見えてファッ!?ですよ
そしてまさかのWikipediaに記事があるという驚き。
小田原駅長の松本さんが悪天候の日仕事をしていたら足を滑らせて亡くなってしまったようです。菊池寛は駅長の知り合いで、碑文を贈った模様。
左に移転除幕式の石があるってことは、もともと違う場所にあったということか
気を取り直して、

小田原城址北入口に到着。ここから入ると

御用米曲輪(ごようまいくるわ)の広がりがよく見えます。
くるわって打っても曲輪とは出てきませんが、郭(くるわ)と同じです。土塁や塀や堀などで区切ったスペースのこと。本丸となったり倉庫となったり、とにかく何かしらの役割を持つところです。
御用米は年貢としてもらった米のことなので、それを備蓄してたところ…なのかな?
で、ここの調査は数年前から行われていて、毎年何かしらの大発見が報道されているのです。石垣とか、家紋が掘られた瓦とか…歴史を裏付ける証拠となるものが続々。まだまだロマンが埋まっていると思うと…ワクワクせざるを得ない
では本丸へ。そこにそびえ立つは


小田原城!ううむ、かっこいい。
ざっと歴史を
成り立ちは…正直、よく分からない。一応、築城年は1417年(室町中期、一揆や悪政などで荒れていたころ)、築城者は大森頼春とするのが通説っぽい。ぽいぽい。
大森頼春はかなりマイナーだけど…このころ起きた大きな乱(上杉禅秀の乱)を鎮圧して名を残しています。その後も要職に就いてるはず。
ハイライトは戦国時代。大森氏から城を奪ったのは大将軍・北条早雲。その後氏綱・氏康と継がれ、上杉・武田からの攻撃をシャットアウト(小田原城の戦い)。一躍有名になります。
しかし立ちふさがるは豊臣秀吉。天下統一の〆はここ関東でした。篭城で粘ろうとするも、凄まじい攻撃と強力な軍により敗北(小田原征伐)。支配下に置かれます。
江戸時代になると少し複雑。北条氏が滅び、徳川家康は大久保忠世(大久保利通の大久保とは違うっぽい)を城主とするも、次代の大久保忠隣(ただちか)が幕府内のいざこざ(ここらへんはマジで複雑すぎる…教科書に出てくるような事件でもないし)で改易(城や土地を没収すること)処分。
次に阿部氏(阿部正弘に繋がる)、稲葉氏、また大久保氏(許されたようだ)…結局 廃藩置県で小田原藩がなくなるまで、大久保氏が守ることに。
明治時代にはほとんどが解体され、残されていた部分も大正12年、関東大震災により崩壊。
第二次世界大戦後、少しずつ修復され、つい数年前も新しく門が建てられています。
関東大震災の他にも、何度も何度も地震に遭いながら生きてきた大層立派な城でございます。
そういえば、小田原評定の語源もここ小田原城が発祥ですね。小田原征伐で粘りに粘ったことから、「いつまでも結論が出ない会議」の意で使われる故事。
あと、その小田原征伐で秀吉が建てたのが石垣山城。一夜城の名で通っています。
完成した後山の木を伐採してその姿を見せたことで、まるで一晩で城を建てたように見せた。そんな伝説が残っています。これは最近の大河ドラマでやってた気が
ついでに回りたいところですが、車使わないと遠いところなので今回は勘弁;
現在城内は展示室と展望台になっています。
展示内容は主に室町~江戸時代の遺物。中には古代のものまでありますよー
モノホンの鎧兜がズラリと並び、鈍い光を放つ刀、槍…戦国感たっぷり。
心動かされたのは書簡かな。戦の前に大切な人へ宛てた手紙、なんかも最近発見して寄贈されたりしている。
和むのは日常品。信じられないほどちっちぇえ算盤があって笑ってしまったww指ではじけねえだろ!とツッコミ入れるしかない。
…という感動も撮影禁止なのでうまく伝えることができない;是非観光して欲しいところです。。。
展望台は撮影おk



いい天気でよく見えましたー
相模湾と、箱根山、大山?丹沢?まで見えます。三浦半島は割と近いので見えましたよー
では周りを散策。


例によって梅。皆さん歌詠んでつるしておりました

本丸のところは昔ミニ動物園みたいになってたのですが、現在はサルしかいませんでした…
寒いから団子になってるww
ついでに遊園地もあり(しかもかなり繁盛している)。どこかカオス感が漂っている…

では本丸は

門1つ目・常盤木門をくぐって後にします。1971年修復。
正門ということで、一番デカく、頑丈に造られていたそうです。本丸内には名の由来となった巨松が。巨木マニア歓喜。

二の丸から出るにくぐる銅門(あかがねもん)。
二の丸内には小田原城歴史見聞館があり、天守閣のチケットとここの入場チケットがセットになったものを買うと得ですのよ。今回は時間ないのでかーーーっと
❷明治天皇行幸碑

こんな碑も。まだ天守閣があったときにいらしたのかな?
銅門くぐらなければ、小田原市郷土文化館へ行くことができます。こちらは入館無料。
ちょっと古い建物(外観撮るの忘れた…)ですが、城内展示に匹敵するほど歴史を感じられますよ!
小田原城の沿革の他にも、小田原市の歴史ってことで遺跡から出土したものがあったり。戦乱の世に目が行きがちですが、しっかりと古代の遺物も残してあるのですね…素晴らしい…無料(強調)とは思えん…

昼休憩ってことで馬出門をくぐって一度城外へ。2009年に復元。つい最近だ
ここを出る前に馬出曲輪があるのですが、遺構が残っていて面白いですよー。防御したり出陣したりする場なんだなーってのがよくわかります。。。
昼飯!

味乃魚隆で…っ!もり+海鮮丼セットを頼む…っ!限定30食ランチセットである…っ!
海鮮…美味い…!美味すぎる…っ!間違いなく採れたての味…っ!俺、ついがっつく…!
そして蕎麦…なんだこれは…麺が細い…細すぎる…っ!しかしこの食べ応えはどこから来るのであろうか…手打ちではないであろうが、それに匹敵する美味さ…っ!
これで990円。え?安くね?すばらです。
というお昼までの行程。
次回、後半からが本番である。歴史を求める者、小田原城だけで満足してはいけない。
この町も1日では回り切れないほど、無数の浪漫が転がっている…
続く…
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