浜松旅行 ②浜松城
お城周りの史跡巡りしてたらあっという間にお昼。
食レポは別枠でやるとして…食後に向かうはこの日メインディッシュの浜松城へ!

前回、椿姫観音や元城町東照宮の欄で掻いた通り、前身は曳馬城。
1570年に家康の支配下に置かれて改称し、以降明治維新まで人々を見守り続けました。
これも前回書きましたが、脱糞伝説が残る三方ヶ原の戦いで敗走した家康が逃げ込んだ城としても有名です。
生涯で最大の危機的状況に置かれた家康。それにも関わらず、門を開け放す所謂「空上の計」を行い、追っ手を警戒させたといいます。
そこから派生して、徳川四天王が一・酒井忠次は櫓の太鼓を打ち鳴らして伏兵がいることを警戒させた、という伝説も残されています。
…いろいろと逸話が多いものの、やっぱり脱糞が有名からか、それに纏わるおみやげ品が一番目立ってます…ww
『徳川家康三方ヶ原戦役画像』という、ボロ負けして情けない顔(通称・脱糞顔)してる家康絵のグッズとか…
石垣には要注目です。

野面積みの代表格としてよく挙げられますね。
自然石をそのまま積むのが野面積み。戦国時代といえばこの積み方のイメージです。
その荒々しさと、見事なバランスに驚嘆するしかない。。。

ボランティアガイド?のおじさまが教えてくれたハート石。真ん中に大きいのと、その上にちっちゃいハートが。なるほど。。。
城内は博物館形式。小田原城や大阪城たいな感じ。
地下含み4階建て、3階が展望室です。

おっさんのコスプレ…ではなく家康の姿を再現した像。
ももクロの百田夏菜子さんが浜松出身で、家康衣装でPRしたそうです。
実際に家康が浜松城を拠点にしていたのは、29~45歳までだったと言われています。
まだまだ若い、この見た目ぐらいの時に、天下統一への道を着々と築き上げていったのでしょうか。
家康以降は各地の譜代大名が城主となり、彼らは次々と幕府の重役に任ぜられました。
天保の改革で有名な老中・水野忠邦も城主を務めています。
このことから、出世城という愛称が定着。ゲン担ぎに来る人は現代でも絶えません。。。
展望室の町並みはどうじゃろな

柵の上に手を伸ばして…
天気はよかったですが、富士山方面は雲が多めでした。。。

こっちは太平洋側
やっぱり浜松は都会だなぁ。

内陸側
花見の名所でもあるので、この時期は人がわんさか来ます。。。
ちょっと早いかな、と思ったけど、めちゃくちゃ綺麗に咲いてました!!ナイスタイミングだー







見事である。これには家康公もニッコリ。
平日だったのでそこまで混んでなかったのもよかったー
最後に一つ、逸話の地を忘れずに。
浜松城公園を出て、浜松市役所近くにある鎧掛松です。

三方ヶ原から浜松城に逃げ帰った時、鎧を脱いでこの松に掛け、一息入れたそうです。
お城の展示量はそこまで多くないですが、合戦の史跡がやたら詳しく書いてあって、それにハマると時間取られます;
武田軍が攻めたルートとか、拠点にした城とか、ちゃんと語り継がれてるのが凄い。とてもじゃないけど観光で全部は回ってられないです。。。
なんとか近場の史跡は攻略したい、ということでお次は城の西側へ…
では。
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