2013-10-05(Sat)
桑田真澄 講演会
プロ野球はレギュラーシーズンが終わりに近づき、引退ラッシュ。
今日は 中日・山崎武司と阪神・桧山進次郎のラストゲーム。
山崎は完全に行方不明になったと思ったら、楽天で復活して東北のヒーローになりましたね。
桧山は派手な選手ではありませんでしたが、暗黒・優勝時代両方を支えた名選手でした。
ありがとう、本当にお疲れ様。
野球繋がりで、、、

桑田の講演会に行った話を。
今日は 中日・山崎武司と阪神・桧山進次郎のラストゲーム。
山崎は完全に行方不明になったと思ったら、楽天で復活して東北のヒーローになりましたね。
桧山は派手な選手ではありませんでしたが、暗黒・優勝時代両方を支えた名選手でした。
ありがとう、本当にお疲れ様。
野球繋がりで、、、

桑田の講演会に行った話を。
先週の金曜、町田市民ホールにて。
チケットとるために電話の前で待機してましたが、意外とあっさり、しかも前から2列目!の席を取れちゃいました。
会場内は撮影禁止だったんで写真はナシ。
講演内容をまとめると、、、
・メインは「3つの挫折」の話
①小1
4月1日生まれで、成長が一年分遅れていた桑田は壊滅的に勉強ができなかった。
子供時代の1年はとても大きい。力の差を感じた桑田は勉強を諦める。
しかし、進学すると野球界独特のタテ社会も経験して、野球さえも辞めそうになる。
それを救ったのは母親だった。諦めず我慢して続けること。
ここで辛抱していたから、今の桑田がある。
中学では大きな変化が起こる。勉強を始めたのだ。
今までは野球の努力しか知らなかったが、毎日少しづつ、野球と同じように努力した。
家で自習する時間は少なかったので、できるだけ授業中に頭に入れてしまうよう集中した。
「時間がなかったからこそ、限られた時間で小さな努力を続けられた」
②中3
中学野球で輝かしい成績を残した桑田は、一足早くPL学園入学が決定。
清原と初顔合わせをするが、そこで「体格差」というどうしようもないコンプレックスを感じる。
高校生ともなると、清原までとはいわなくてもデカイ選手ばかりである。桑田にはそれが重みになった。
入学後、練習が始まっても成績は残せず投手失格を言い渡される。
野球に対する努力は誰よりもしてきた。それでコンプレックスを脱ぎ払えないならどうすればいいのか…
そこで「野球以外の努力」を実践し始めた。それは、トイレ掃除であった。
早起きして誰にも気付かれず、毎日毎日続けた。
そしてある日、急遽先発のチャンスを与えられる。そして気付けば完封していた。ここからPL桑田の伝説が始まった…
桑田は感じた。野球と人生は似ている。それは「運」であると。
「少しの努力をコツコツ続ける努力」。これが運を引き寄せたのだ。
③巨人入団
1年目から1軍で投げていたが、やはり挫折はあった。
それは単純で、最も厳しい「実力の差」であった。
「本物を自分の目で見なければ、本当のことは分からない」。
プロ・アマの違いを痛感した桑田。その時、ある本に何度も出てくる言葉に目をつけた。
「試練」。これを桑田は「挑戦」ととった。
壁に挑戦するには「自分らしさで」勝負しよう。
誰もがうなる剛速球・変化球はもっていない。ならば「総合力」で勝負だ。
心に刻んだ桑田は、好成績を残し続けていく。
・統一球第三者委員会終了後すぐの講演だった!
・野球選手の平均引退年齢は 28~29。
定年が早い、「残酷なスポーツ」
・「表と裏の両立」
学生:勉強とスポーツ
プロ:結果とプロセス
プロセスといっても、卑怯な勝利では意味がない。
・体罰について
「スポーツは、暴力から最も遠い場所にいなければならない」
しかし、「失敗するのがスポーツ」であるから、選手に考えさせることもさせよ
・桑田は投球前にボールをじっと見ていたが、近い対象物への凝視によって集中するためのルーチン。テニス選手からヒントを得た。
さらに自分へポジティブな言葉をつぶやいていた
・嫌なバッターはたくさんいた。
だがバッターとは戦わず、自分と戦っていた
・サイン色紙・ボール大量プレゼント
…以上。
いやー、なんて面白い人なんでしょうww会場が常に笑いに包まれていましたよ。
自分で話しながら、大学の講義みたいに指名するんですよね。
で、答えると色紙プレゼントww大盤振る舞い過ぎるww
引き込む力がものすごいし、努力の人なんだなーと改めて感じられました。
…何より、間近で桑田が見れたのが一番嬉しかった。。。
では。
チケットとるために電話の前で待機してましたが、意外とあっさり、しかも前から2列目!の席を取れちゃいました。
会場内は撮影禁止だったんで写真はナシ。
講演内容をまとめると、、、
・メインは「3つの挫折」の話
①小1
4月1日生まれで、成長が一年分遅れていた桑田は壊滅的に勉強ができなかった。
子供時代の1年はとても大きい。力の差を感じた桑田は勉強を諦める。
しかし、進学すると野球界独特のタテ社会も経験して、野球さえも辞めそうになる。
それを救ったのは母親だった。諦めず我慢して続けること。
ここで辛抱していたから、今の桑田がある。
中学では大きな変化が起こる。勉強を始めたのだ。
今までは野球の努力しか知らなかったが、毎日少しづつ、野球と同じように努力した。
家で自習する時間は少なかったので、できるだけ授業中に頭に入れてしまうよう集中した。
「時間がなかったからこそ、限られた時間で小さな努力を続けられた」
②中3
中学野球で輝かしい成績を残した桑田は、一足早くPL学園入学が決定。
清原と初顔合わせをするが、そこで「体格差」というどうしようもないコンプレックスを感じる。
高校生ともなると、清原までとはいわなくてもデカイ選手ばかりである。桑田にはそれが重みになった。
入学後、練習が始まっても成績は残せず投手失格を言い渡される。
野球に対する努力は誰よりもしてきた。それでコンプレックスを脱ぎ払えないならどうすればいいのか…
そこで「野球以外の努力」を実践し始めた。それは、トイレ掃除であった。
早起きして誰にも気付かれず、毎日毎日続けた。
そしてある日、急遽先発のチャンスを与えられる。そして気付けば完封していた。ここからPL桑田の伝説が始まった…
桑田は感じた。野球と人生は似ている。それは「運」であると。
「少しの努力をコツコツ続ける努力」。これが運を引き寄せたのだ。
③巨人入団
1年目から1軍で投げていたが、やはり挫折はあった。
それは単純で、最も厳しい「実力の差」であった。
「本物を自分の目で見なければ、本当のことは分からない」。
プロ・アマの違いを痛感した桑田。その時、ある本に何度も出てくる言葉に目をつけた。
「試練」。これを桑田は「挑戦」ととった。
壁に挑戦するには「自分らしさで」勝負しよう。
誰もがうなる剛速球・変化球はもっていない。ならば「総合力」で勝負だ。
心に刻んだ桑田は、好成績を残し続けていく。
・統一球第三者委員会終了後すぐの講演だった!
・野球選手の平均引退年齢は 28~29。
定年が早い、「残酷なスポーツ」
・「表と裏の両立」
学生:勉強とスポーツ
プロ:結果とプロセス
プロセスといっても、卑怯な勝利では意味がない。
・体罰について
「スポーツは、暴力から最も遠い場所にいなければならない」
しかし、「失敗するのがスポーツ」であるから、選手に考えさせることもさせよ
・桑田は投球前にボールをじっと見ていたが、近い対象物への凝視によって集中するためのルーチン。テニス選手からヒントを得た。
さらに自分へポジティブな言葉をつぶやいていた
・嫌なバッターはたくさんいた。
だがバッターとは戦わず、自分と戦っていた
・サイン色紙・ボール大量プレゼント
…以上。
いやー、なんて面白い人なんでしょうww会場が常に笑いに包まれていましたよ。
自分で話しながら、大学の講義みたいに指名するんですよね。
で、答えると色紙プレゼントww大盤振る舞い過ぎるww
引き込む力がものすごいし、努力の人なんだなーと改めて感じられました。
…何より、間近で桑田が見れたのが一番嬉しかった。。。
では。
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